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体験記 (59-60)

 物の言い方、自分の思う通りに行動するような所が、お義母さんそっくりであった。私は長年対人恐怖(人が自分をどう見ているか、嫌われているか、好かれているか)に悩んできたので、家内の言動をそのまま受け入れるような所があり、母から見れば嫁の言う通りになっていると見られていた。
 周囲の人々の顔色ばかり見て、それに迎合するばかりで、自分の信念がなかった。(今もこの傾向は残っている)
 結婚は他人が一つ屋根の下で一緒に生活するのだから、育った環境、習慣等が全く違うので、その上、親と同居となると、その舵取はなかなかむつかしく、対人恐怖で相手の感情に右往左往するばかりの私には、その能力はなかった。若い時から困難な事から逃げて人に助けてもらうことしか考えなかった私が一家の中心として家を取り仕切る事ができなかった。
 要は気が小さく世の中の雑多な体験がないのであった。子供の時から人を避け家から外へ出ず動植物の世話を唯一の楽しみにして生活してきたツケが、社会人になってから出てきたようである。
 神経質という性格の上に子供の時からの雑多な体験不足による幼弱性が原因という事を森田で教わっていながらその自覚がなく、お義母さんそっくりのきつい物の言い方(本人は普通に言っているつもりみたいだが)に、私もカッとなりケンカになっていた。ケンカになると家内は家を飛び出し、その都度引き止めていた。
 母からは「そんな事するから なおするんじゃ放っとけ」と言われ、他人同士のむつかしさを思った。
 親兄弟でもケンカはするが他人が絡むケンカはやはり恐かった。
 そんな中でも子供も大きくなっていったが、少しの事にもイライラして態度言葉に出る私に、子供も、神経が過敏になっていったようである。特に息子の方が神経質なように思えてきた。店で物を買うにも娘は、すぐ自分の欲しい物を決めていくのに、息子はなかなか決まらない。なかなか決まらないのでイライラして怒ると泣き出してしまう。本当は欲しい物はあるんだが、私の顔色を見て言えなかったみたいであった。

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 八栗山へ初詣に行って帰りに何か買ってやろうとしたが、店の前をウロウロしてなかなか決めないので怒ると「イカの焼いたのが欲しいけど服や車のシート汚したら怒られる」と言って泣き出した。神経質でちょっとした事にカッとなるから、子供も何かあれば怒られるという事が頭にインプットされて、私の顔色を見るようになっていたようだが、バカな私は、家族の心も考えずに、自分の感情のままに態度言葉に出してきた人生だった。
 今思うに息子も引き付けをおこした、癇の強い子供でその後も、泣き出すと唇が紫色になって泣き入って、立ったまま後ろに倒れるのであった。その為に床の板あるいは敷居で何回も頭を打っていた。大きくなってからは頻繁にトイレへ行くようになった。特に外出時は5分もたたずにまたトイレへ行くので膀胱炎になったのかと思い医者へ連れて行くが異常なしという事だった。これは神経性の頻尿だと理解した。私の神経質という性格を受け継いだのか、あるいは私の子供への接し方が悪かった為に、神経質にしてしまったのか、何れかであろうと思うが、そう思っていても私の態度は変わらなかった。
 従って家内から「あんたは家族を幸せにすることが出来なかった」と今でも言われている。
 家内の実家へ子供を連れて行くと義母が「また泣くんか」と語気を強めて言うと、それを聞いた息子は、その場で泣き出すのであった。そんな風だから義母も、私の子供は(可愛いない)と言っていたそうである。他の孫には優しいが私の子供には文句ばかり言うのでこの点でもお義母さんは嫌であった。お義母さんは私が嫌いだから、私の子供も可愛くないのだと、そう理解していた。一方母は何かに付けて家内のする事を私に言ってくるので、感情的なあつれきに弱い私はその度に対人恐怖の症状が出てくるのであった。
 母はこういう私の性格を知っているであろうが、それに対する対処の仕方を知らない母は、自分の気持ちを、そのまま私にぶつけてくるのであった。
 人との接し方を知らずに育った私は、いきなり一家の柱にされたのでオロオロするばかりであった。
 口下手であるのも手伝って、上手に間を取り持つことはできなく、争いがたえなかった。

執筆 :(T.Y)