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記憶の断片

 私は日々平穏に過ごしております。書きたいことがありません。不安が全くありません。野心もありません。寂しいという感覚を忘れはてるほどの孤独な生活を持続しています。
 1978年の年末 26歳のとき大川病院に入院させられました。閉鎖病棟です。奇妙な人々が鉄格子のある建物の中でうろうろしていました。Z型の翼に広がる煉獄です。私は当時この施設は巨大なタイムマシンであると考えていました。私はその時ちょうどいい按配で間抜けな救世主をやっていました。するとちょうどいい按配に世界と宇宙を支配する魔王が居ましたので、個室に忍びこむとベッドに寝ていた魔王でもある可愛そうな そのお爺さんを、スリッパでしばいてやりました。また別の日にはどこかの正義感に満ち溢れたおっさんにいきなり殴られて唇から血を流しました。幸いあわてふためく親切な看護婦さん達に助けられました。またしばし私が寝ていると2人の哲人が深遠な話を繰り広げていました。これが神々の会話であると私は感心して御言葉を聞き逃すまいと聞き耳をたてていました。しかし何を言っているのかさっぱり理解できません。後々気がついたことですが、単にアル中で入院していた2人のおじさんが、ありふれた世間話をくり広げていただけに過ぎません。精神冷却薬の作用もあり、しばらくすると私は正気に戻りました。それからはもうひたすら品行方正にして退屈な日々を耐えた後、2ヶ月ぐらいで出所することができました。
 精神冷却薬というものは、迷走する迷惑な原子炉に投入するホウ酸のようなものであり、感情の興奮と妄想の連鎖反応を抑制する作用があります。狂気になると二週間程度の期間に一生分に匹敵する体験をもたらします。精神冷却剤、精神拘束剤の影響下にありますと、味覚音痴のようになります。仕事をしても何も面白く感じられません。狂気になるきっかけのひとつは感動しすぎることにありますので、社会的な要請から迷惑な狂気からの護岸対策として、常時精神拘束剤を投与する必要性が教化されています。狂気は、意識の海と大陸の間に存在する干潟のようなものであって精神世界における何らかの浄化機能があるのではないかと、私は空想します。
 私が狂人化したきっかけは、アルバイト先の小学校の宿直室で図書館から借りてきた延々と続く神話を読んでいる時、「本の中の人物は自分のことである」と気がついたことに始まりました。ミヒャエルエンデの「はてしない物語」と同じような成り行きです。物語から語りかける誘惑に対する抵抗力、襲いかかる妄想の不安に対応して肯定的な世界感を提示できる柔軟さ、日々の地道な仕事による満足感からの熟練による自己認知の安定化が、再発予防に必要とされます。抗精神病薬のみに頼って漫然と過ごしていく、即物的に管理された人生は不毛に過ぎてしまう気がします。