index

体験記 (54-56)

------------------- (54) -------------------

 こういう失敗があってから、これからは絶対に失敗しないよう、年間を通してパーフェクトな仕事をしてやると心に決めた。しかし神ならぬ身でそんなパーフェクトな仕事なんかできるはずがなかった。何かやれば失敗するというのでは困るか、毎日毎日朝から晩までの仕事で時には数の読み間違い、異品混入、数量の過不足等、月に何回かはおこっていた。そういう失敗があると自分は能力のない人間なんだと悲観していた。
 森田を学ぶと(完全とは観念の産物で現実には存在しない)と教えられた。しかし執着性の強い私は何とかして完璧な仕事を求めて、年が改まると、今年はパーフェクトな仕事をしようと心掛けていた。一週間、二週間と問題なく進んでいくと(調子いいな)と思い乍ら仕事をしていたら、何かのはずみに数を間違ったりする。そうなると(あゝ今年もダメだった)と失望していた。
 それでも、次の年はまた同じ様に挑戦するのだが、やはりダメであった。年間を通してパーフェクトな仕事など求める方が無理であったのであるが、それでも年初には今年こそはと思って挑戦するのである。しかしやはり無理であった。当時これが完全欲のとらわれであるとは全く考えていなかった。
 神経質な性格はこのように、すべてにおいて完全を求める為に苦悩が倍加するのだが、それでも何とかしてという気持ちはなくならなかった。
 森田で(不可能を可能のように思うのは愚か者のする事である)と教えるが、仕事だけに限らず、人間関係においても然り、自分に関係する人々すべての人から、好感を持たれたい。一寸でも不快に思われてはならない。そういう考えが頭から離れないのであった。そういう考えであるから相手が返事しなかったり、何か言われたりすると、この人は私を嫌っている。何が気に入らんのだろう。ああだろうか?こうだろうか?と、きなきなと悩んで相手と物言わなくなり、却って人間関係を悪くしていったのである。

------------------- (55) -------------------

 自分に関係する人々から絶対に嫌われてはならないと望めば却って相手の言動が自分に対して冷たくよそよそしく感じそんな折、その人が他の人と談笑しているのを見るとやはり私は差別されているように思えてくるのであった。この事は私の人生の中でいつも頭の中にあった。今でもこういう感情はクセになっているのであろう。折に触れて頭に浮かぶ。
 27歳で結婚して翌年娘が生まれ、名前を父が(由香里)はどうだろうと言った。高松の栗林公園の近くに名の光の家という所があり、そこでみてもらうというので行った所(友香理)がいいですよと言われそのように決めた。
 (当時、私は占いみたいなのは信じており、神社なんかへ行くと必ずおみくじを引いてこう書いているからこうしなければいけないと本気で思っていた。今はそんなものはどうでも良くなった)両親と同居していて当時は母が仕事に出ていて、父は体の調子が悪く家におり家内は子供を見ながら家で娘時代にやっていた仕事を持ってきてもらって内職のようにしていた。夕方母が仕事から帰り台所へ座ると、部屋中をくまなく見回しているのを見た時にはドキッとした。母の姑根性を感じたのである。
 世間でよく耳にするが、私の母はそんなことないと思っていたが、そうではなかった。嫁が台所の物をさわったりしていないか調べていたのであろうと思った。
 やはり元は他人だから娘姑の間はそうなってあたり前なのかも知れない。自分の娘が何をしようが何ともないが、同じことを嫁がすると気に障るのは、あって当然かも知れない。感情的なトラブルに弱い私はこれがまた悩みの種となっていろいろ苦しむこととなっていった。自分の対人恐怖の症状に加えて新しい火種となっていったのである。

------------------- (56) -------------------

 当時は自分の神経症の苦しみで分からなかったが、母も私同様、対人恐怖の神経症で人と対立的になるタイプであった。親戚の叔母さんから「いい人なんだけど誰と接しても、うまくいかないんだ」と言われた。
 相手が誰であろうと、何かあったら非は全部相手にあり、自分は被害者のようになってしまう。私も会社で岡さんから「お前は何かあったら全部相手が悪くなるんだ」と言われた。全部相手が悪くなるんじゃなくて中には本当に相手が悪い場合もあろうが、神経症の自己中心な所は大いにあったろうと思う。
 母も神経症で本心は皆と仲良くしたいのだが、我が強くて負けず嫌いの為、人と対立し易い所があり、私も、母の血をそっくり受け継いでいたのであった。
 他人が一緒に生活するのだから、多少の波風はあるだろうが、跡取りとして、それをまとめる力は私にはなかった。私の感情的なトラブルを嫌い恐れる対人恐怖の症状は家庭の中でも、折にふれておこってきた。
 母は何かあると家内のする事に対して自分の気に入らない事を私に言ってくるようになった。その度に私は(もう仲良くしてくれ)そんな気持ちでオロオロしており、全くたよりない跡取りであった。
 母が、あゝだこうだと、私を仲に入れて家内に言い出すと初めは母の前で座っていた家内が急に、心臓がドキドキすると言ってふるえだし、唇が紫色になってふとんの中へもぐり込むのであった。初めは何でこのようになるのか不明だったが、母とこういう場面になると同じようになるので、これは一つの逃避反応ではなかったかと思うのだが、今となっては分からない。それが為に体に異常が出ることもなく落ち着いたら元にもどるので、精神的な逃げであったと考えている。子供の時の私の家庭は、祖母-父-兄 対 母-私-妹 と対立的になりケンカがたえなかった思い出が形を変えて蘇ったようであった。
 

執筆 :(T.Y)