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迷える アラフォー

 実に、久しぶりの投稿である。あまり、心身共に具合が良くはないので、多少、読みづらい点もありましょうが、そこは、御寛容下さい。まず、最近、私の体験した、「これって、どうなんだ?」と呟やきたくなるエピソードについて記したい。
 その1。私は現在、某、福祉関係の仕事についている。いつのまにか、一番の古株になってしまった。この一番、というのは決して有能とかサラリーが多いではない。「カビの生えた 仕事をしない人。」という意味で一番なのである。後輩たちからは、「体もロクに動かさないで居座っている人。」と見られているらしい。反論するとしたら、動かさない、のではなく、あちこちガタが来て、体を動かすのが辛いのである。
 でも、いちいち説明するのも馬鹿らしいので、とっくに、話しをするのを、やめている。言っても、私をイジメルのをやめるとは、思えない。
 “物言えば唇に寒し。”、“智に働けば角がたつ。”“情に棹させば、(流される)ひっぱり込まれる”ので、専っぱら淡々と猫の如く、気配を消して働いている。
 
 ◎2. 人間は群れたがる動物だ。といふことに人生・半分以上すんで、やっと思い知らされた。私は、友人は、ほとんどいないし、さして必要ともしない。せいぜい2人だ。私は、この2人に感謝している。これは、嘘でも、おべっかでもない。だが、世間の人々は(世間の狭い私の言う人々(・・)は限られている。)仕事以外でも、メールとか写真とかを、やりとりするらしい。メールの内容をたまに見せてもらうと、さして急ぐ用事ではないのが大抵だ。ときには、自分が、今、食べている菓子やら、友人たちとの宴会の様子を、わざわざ送信するらしい。
 1カ月に支払う料金を考えると、勿体ないとしか思えない。結局、「生活が苦しい。」とか ぼやくわりに、少しも困らない資本家や大口の株主とかやらの財布を潤(うるお)してやっているのに、どうして気がつかないのだろう? だからと言って、私は特定の思想に傾倒してはいない。思想とやらを振り回す人を私は、どうにもうさん臭く見てしまう。
 
 ◎3. 私は病気の治療のため、或る医師にかかっている。寒い医者ではないし、つきあいも長い。内科の医師で話しも通じる方だ。学会に行くよりも自宅で、歴史、文学、心理学、エッセー、etcを読んでいる方が多いと思っている。医学のことよりそれ以外の方の知識が豊富じゃないか?と思える人だ。私はこの医師が嫌いではないが、最近、この人物が私の頭を悩ますことをしでかして呉れたのだ。一度、「自分の手に、おえない。専門医に行ってくれ。」と手放しておき乍ら、専門医の返信と処方内容をみて、私に、「もう一度、この専門医の所へ通院して欲しい。遠方だが、通院を続けてくれ。」と云い出すではないか。遠方の専門医は、私に、「遠いから、ムリに通わなくていいし、処方薬は、地元のクリニックでも出してもらえる。」と言ってくれた。そのための段取りもつけたのに、ちゃぶ台を引っくり返したのが、その内科医なのだ。医者どうしのことは、 イシヤ自身で交渉して欲しい。と、お願いしたが、自分は腰を上げず交渉を私にさせたのだ。私は汽車賃や切手代が、惜しくて怒っているのではない。
 いざとなったら、自分で動かないその臆病さとずるさに怒っているのだ。
 想像してみて欲しい。空港や自衛隊の管制塔に緑色の丸い輪を。はりめぐらしたレーダーが在る。そのレーダに青・黄・赤のランプが点いたとき黄は要注意、赤はスクランブルだ。私の貧弱な脳ミソのレーダーには、この赤と黄が点滅しつづけている。いっそ、トリアージのように黒い一色になれば平穏な日々に戻れるのだが…。
 その日は、遠い、― ような気がするのは、私だけか? 日・暮れて道、遠しである。(ちなみに、トリアージの黒は死体置場へ運ぶ人。のことを指す)
 久しぶりに文字を沢山かいたら疲れてしまった。こんなくだらない個人的なエピソードは、これきりにしてしまいたい。
 拙文におつきあい下さり、ありがとう御座居ました。

終わり