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体験記 (27-29)

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 人の顔色をみるのは何も食べ物だけではなかった。会社で会議があっても、皆それぞれに自分の考えを述べているが、私は最初から最後まで一言もしゃべらなかった。
 元々無口な性格の為もあったが、何かしゃべって自分の意見を述べて反対されたら或いは文句でも言われたら・・・と、そんなことを考えたら何もいえなくなるのであった。
 会議は仕事です。何も言わずに時間を過ごすのは仕事をさぼっていることであるが、言えなかったのである。
 最後まで何も発言をせずに黙ったままの私の態度を指摘してくる人間もいたが、それでも発言する勇気はなかった。
 要は私の言動を人がどう思うか、反感を持たれないか?笑われないか?バカにされないか?等を考えて言えなかったのである。人が自分をどう思うか人の思惑ばかり考えて何に対してでも控えてしまうクセが子供の時から身についてしまっているのである。
 人からそれを指摘されても言われっ放しで黙っている私の態度を、変わった男とみられていただろうと思うのである。
 反面、日常の与えられた仕事を黙々とこなしている私のことを人から大人しいと言われたりしていた。大人しいのじゃなく人の思惑ばかり気にしているから自由に行動できなかっただけである。
 何を言われても言われっ放しで黙ってこらえているので言い易い為か2〜3人程、口の汚い男からいろいろに暴言を吐かれる生活であった。
 半面、性格的に融通がきかず間違ったことをするのを許さない所もあったのかも知れない。上記の男たちから「お前は石に鉢巻を巻いたような奴だ」とか「親父のキセルの雁首でもまっすぐにする」と言って怒鳴りつけられていた。自分は悪いことはしていないのに何でこんなに言われるのか分からなかった。このような言い方をされると、やはり私は嫌われていじめられると受け取り、それでいて即妙に言い返すこともできずに黙ってこらえていた。しかし今に思うにはこの言葉は正しかったようである。仕事でも何でも間違っていると思うことはゆるせなかった。人が仕事の手を止めて雑談にふけったり冗談を言われたりした時、相手はふざけていただけでも本気で怒っていた。全くユーモアの分からない、コチコチの接しにくい男であったのである。
 こんな風であったから人が近づいてくるはずはなく、休憩時間に皆と一緒にいても、一人黙って横で人の話しを聞いているだけであった。会社で仕事上の話はするが、会社の人間と個人的に付き合いをするようなことはしなかった。
 そんな人間だったから、「牛の子でもつきあいするんやぞ」と批判された。人との付き合いがないのは心がせまくなるばかりだが、子供の時からそういうクセがついているので仕事以外で他人と行動を供にするのを束縛のように感じていたのである。
 そのくせ家族とか身内の人と一緒に行動するのは楽しかった。人の顔色を見なくていい人とはリラックスして行動できる。要はわがままであったのである。
 皆、会社の中で気心の知れた仲間と何かあったら、それを口実にして飲み食いしている。納車祝いだ、壮行会だといろいろな名目で付き合ってお互いの仲間としての親和感を育てているのだが、私は仕事だけのつながりで、それ以上近づくことが苦痛であった。それでいて人に嫌われたくない。仲良くしたいと願っているのだから全くの自分中心であったのである。
 ちょっと人から言われると、あゝだろうか?こうだろうか?とクヨクヨと気にして、それを人に訴えていた。上司からは「人の口に戸はたてられん。人は右に転んでも左に転んでも言うもんじゃ。言わしとかな しょうがないのだ」と言われたが、私はそのように人からいろいろ言われて批判されるのが恐かったのである。
 人から好感をもたれるようなことはせずに人から離れていて、それでいて人と仲良くしたい嫌われたくないとばかり願っていたのが今までの私の人生であった。

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 会社と家との往復だけで休みには家で自分一人の趣味を楽しむだけであり、他の人のように終業後あるいは休日等に仲間と食事とか遊び等で時間を共有するということはしなかったので「牛の子でも突き合いをするんやぞ」と言われ、人との付き合いをしないことを批判されても仕方がないのだが、とにかく人からちょっと何か言われると、もうそれが気になって、この人に嫌われた、悪く評価された、従ってもう元の和やかな人間にはもどれないと悲観して、その人に近づくのが恐くなり逃げてしまうので、その為に本当に嫌われ悪口を言われるという悪循環の繰り返しの生活であった。あるいは嫌われているのでなく、人から何か言われてもケンカになるのが恐くて即妙に言い返すようなこともできずに言われっ放しだったので、相手は言い易かったのであろう。好きなように言われていた。もっともこのように言ってくるのは、2〜3人の人だけで、他の人は普通に接してくれてはいたが、先方は軽い冗談のつもりで言ったことでも本気になって悩んだりしていたのである。
 あまりにも神経が細いので相手の何気ない言動も敏感に返応していわゆる(針程のことを棒に感ずる)のであった。そしてその時の苦しい気分を持ち耐えて、あるいは自力で乗り越えることをせずに、その都度人に助けを求めていた。当時の上司にクドクドと悩みを訴えては困らせていた。
 最初は親身になって話しを聞いてくれていたが、あんまりグチばかり言うのでその人から「あゝであったんだ、こうであったんだというのは聞きとうない」と言われた。言われて当たり前である。他人のグチなんか聞きたくないのが本心である。そうは言い乍らも私の悩みに対して、よく相談にのってくれていい上司に巡り会えたことは幸せであったと思っている。当時(20才代前半)は、久米川という男と一緒に仕事をしていたが、彼から「山下君は困難なことから逃げよう逃げようとしている」と言われた。仕事で困ったりした時等、自分でそれを処理しようとせずに、すぐに人の助けを求めていたのだから周囲の者にもすぐ分かるのだ。それでも周囲の人達はよく助けてくれた。
 (山下はちょっとした事を気にして悩む)ということが物流課の中に知れているので却って相手の方が私に気を使う所もあったようである。「恒雄さんはちょっとした事を気にして悩むので、他の人には10言う所をあんたには5か4しか言わなんだ」と言われたりした。
 中には私のそういう性格には、おかまいなしに口汚くののしられる時もあったが、こういう男はそういう性格であって、私だけじゃなく他の人にも同じように言っていたのであろうが、私に言われた事だけ、気にして悩んでいたのであろうと思われる。18才の時に日記指導をした時も(あゝ言われた、こう言われた)ということを日記に書いていたが最初はこうしなさいというアドバイスのコメントがあったが、何回も同じような事を書いていると先生から(この程度のことならば聞き流すのができれば一番いい)とのコメントをもらった。
 口汚く言われたのは事実ではあるが、そんなに問題にする程ではなく、放っておけばいいではないかと言われたのであろうが、私にはそれができなかった。
 会社の岡さんからも「気になる物は気にし乍ら放ったらかしにしておけ」と言われたのもこの意味であろうが、私にはできなかった。

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 気になることができたら、すぐに解決しなければ気がすまず、その都度周囲の人に悩みを訴えて助けを求めていた。
 普通は放っておくか、心外なことであればその場で言い返すのだろうが、そのどちらもできずに悶々として悩むのであった。
 当時の上司からは、「人は右に転んでも左に転んでも言うもんじゃ。言わしとかな仕様がないのだ。言われてもええやないか。殺されるわけでもあるまいし放っておけ。」このように言われたが、どうしてもそんな気になれず、何か言われる度にグチを言っていた。
 それをよく聞いてくれたが、あんまり言うて行くと、うんざりするのであろう。
 「相手のあることだからお前の思うようにはいかんわ」と言われたりしたが、そう言い乍らでも、よく相談に乗ってくれたり個人的に手紙をくれたりしてよく面倒をみてくれた。
 日記指導を受けていた時、この人の手紙を同封して先生に見てもらった。先生からは、「これだけの手紙をくれるのだから誠意の充分ある人です。君の心理も分かってくれています。折にふれてこの人と相談していきなさい。」というコメントをもらった。ただ手紙の中に(世の中は自分の為にあると思ってやるように)というのがあったが、これには先生が「世の中は自分の為にあるのではないのです。自分のためにあると考えれば、自分の思い通りにならないと悩まなければいけない。自分が世の中に合わしていかなければならない」と書かれていた。
 森田では(私たちが生きている自然は人類のために存在するものではない。はじめ自然があってその中に人類が生まれたのだから自然が人間のために都合よくできていないのは当然である。人類をそこなう病原菌も繁殖するし、人間のまいた種子も発育の途上で害虫や雑草にやられたりするし、暴風、洪水、旱魃、地震などの脅威もたえない。それらの災害をまぬかれたとしても、人間は死すべきものという自然の定めをのぞくことはできない。社会は人間がつくったもので、人間の生活に都合のいいように工夫されているとしても、個人のためにのみつくられているのではない。だから生存競争は激しく努力しない人間は落伍する。
 人間が社会の中につくり出した危険も無視できない。種々の公害、頻発する交通事故、火災、経済事情の変化、反社会的人間のおこなう害悪、複雑な人間関係など、私たちを不安にする材料は無限に私たちのまわりをとりまいている。こういう環境のなかに生存する人間が生きる限り不安をもたないわけにはいかない。この不安がもとになって、いろいろな人間の生きる態度が生まれてくる)
 このように森田では教えられた。いろんな知識を教えられても理屈は分かるのだが、感情が変わることはなく、会社で自分に関係する人たちが自分のことを嫌がっているかいないか?そればかりをいつも問題にして頑なに自分の考えを変えることはなかった。
 森田では素直な人は治りが早いというが、私は素直でなく、教えられたことを実践しなかったので人生のほとんどを悩みですごしてしまったのである。

執筆 :(T.Y)