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体験記 (19-20)

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 あまり長く休むと「風邪ぐらいで、いつまでも休む」と思われるのもつらいし先生からの日記指導の指摘もあることだし、やはり会社へ行くことにした。
 会社へ行く日になると吐きそうになってくる。洗面所へ行ってゲーゲー言うのだが、病気じゃないから何も出てこない、いわゆる「空えずき」と言われるものである。
 洗面所でしばらく苦しんでいると、だんだん治まってくるので、重たい足を前へ出して会社へ行った。
 不思議なことに会社へ入ってしまうと普通に仕事ができるのである。忙しく仕事をこなしている時は何でもないが、人から何か言われたりすると畏縮して何も言えなくなる。気の強い人間ならば、言われたらすぐ言い返す。なかには一口言われたら三口ぐらい返ってくる人間もいるが、私はそれができずに言われっ放しで黙ってしまう。
 その為か人からは大人しいと言われるがそれは見せ掛けで内心では非常に強情であり、いつまでもその人間を憎んで物言わなくなるから、ますますその人と折り合いが悪くなり、本心では仲良くしたいのに、日が経つとますます言えなくなり、かたくなに口をつぐむのであった。
 非常に強情で意地っ張りなのである。父にはそういう所は少なかったが、母がその通りで私は完全に母の血を受け継いでいたようである。
 会社の人達も、毎日の仕事の中で特にはトラブルになったりするが、しばらくは気まずい仲になっても、それでもいつか元にもどって和やかになっていく。しかし私はいつ迄も物言わずに平行線のままで進むのであった。一番嫌われるタイプだと思っている。
 日記には自分の苦しい症状ばかり書いていたので先生から「気分的なことはいくらやりくりしてもきりがない。こういう気分の中で何をしたか行動したことを中心に書きなさい」とかかれていた。
 なかなかできなかったが、指導を始めて5ヶ月ぐらいたった頃より少しずつ変化が表れてきた。
 日記の内容も少しずつ行動面の記述がふえていくようになってから症状に対する苦しみも段々とうすらいでいった。
 6ヶ月〜7ヶ月と進んでいくに従ってあれ程苦しかった不眠と時計の音が少しずつではあるが気にならなくなっていった。
 それと共に会社の人間関係も一時は険悪になって人が私に対して余計なことを言わなくなっていたが、これも日を追う毎に良くなっていった。これは私の考え方が変わっていったのだった。
 人から何か言われたり、されたりすると、私を嫌って苛めてくる、私の言動を誤解されて悪く評価された、そういう風に考えてビクビクしていたのだが(これは分からないことなんだ)と思って、そのまま流せるようになっていったのである。
 人の言動の意味をあゝだろうか?こうだろうか?と思い悩んでいたのが段々と詮索しなくなっていった。
当然かも知れないが日記には症状のグチが段々に減って行き、あれができた、これをやったと外向きの内容が増えていき、先生からも「心に変化が表れた。この調子で頑張りなさい」という言葉をもらい、また「小さいことにこせこせしていた頃とは大きな進歩だ」こういうお褒めの言葉をもらうようになった。
会社でも岡さんからまた上司である平松さんから「山下、お前元気になったの」と喜んでくれた。
 私の心が変わったことで日常の行動にも変化がでてきて、はた目にも明るくなったのが分かるのだった。
もうその頃には不眠、時計の音なんかは気にしなくなっていた。気にしないというより、そんなことを考えなくなっていったのである。

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 一度心が外向きになると、すべてが好転していくのであろうか。あれ程苦しかった不眠及び時計の音はもちろん気にならなくなり、会社の同僚たちからいろいろ言われても、それに対する受け取り方が今までとは180度変化して私に対する苛めとは考えなくなり、(これは分からないこと)という風に流していけるようになってきた。日記指導を始めて5ヶ月ぐらい過ぎての頃である。
 それからは日を追う毎によくなっていき、生活も活動的になっていった。
 神経症に苦しんでいた時は、日夜症状のことばかり考えて縦のものを横にする気にもならなかったのであるが、この頃には毎日が活動的になっていき次から次へとすぐに手を出して仕事を処理するようになっていった。
 会社の人間関係も段々良くなり、私の立場になって発言してくれる人も出てきたのである。
 日記指導を始めて8ヶ月たった頃、上司の平松さんからも「そろそろ日記指導を止めてもいいんじゃないか」と言われた。
 はた目にも私が明るくなって症状がよくなったのが分かったみたいだった。
 私もこれだけ元気になったのだから自分はもう大丈夫だ、神経症は治った。そう考えて日記指導をやめる旨をかいた所、先生から「ノイローゼは克服したといってもよい。後は人間として努力してさらに進歩発展するよう祈ります」というコメントを最後にもらって指導を打ち切った。
 18才の私は森田療法の理論的なものは何も知らず、ただ医者の実力によって治してもらったようなものであった。従って器質的な病気が治ったのと同じで「自分は治ったからもう大丈夫だ」そう考えて森田から離れていった。先生の最後のコメントにあった「後は人間として努力して云々…」という意味も知らずに普通の生活にもどっていったのである。
 それでも止めた当場は森田的な考えが残っていて毎日の生活は生き生きとしていた。自分が神経質な性格であることを喜ぶようになっていた。森田療法により神経症が治ると禅の公案が通過したようになり、正に悟りを開いたようになるとあったが、あの時はそのような気持ちだった。私は喜びに満ちていたが真の悟りとは程遠いものであった。
 日記指導により心が外向きになり表面上の症状が気にならなくなっただけで、真の森田を理解していなかった。それには神経質性格の陶冶が必要とのことだったが、日記指導では私の訴えによるアドバイスのみだった。通信ではそれしか術がないのかも知れなかったように思う。
 日記指導を止めて2〜3ヶ月ぐらいしてから先生から「けやき会」に入らないかという案内をもらった。しかし私はそれがどういう会なのかを知らないまま、自分は治ったのだからもうこれでいいのだと考え、そんな会には入らずに完全に病院とは縁を切ってしまった。
 森田療法の神経質性格の心のからくりを理解して日々の生活で森田的生き方ができておれば根治して症状に悩むことはなくなるのである。
 神経質は病気ではなくてそういう性格の型であるから条件が揃えばまた悩むようになる。従って森田から離れてはいけないのだということを後年知ったのであるが、当時は治ったから「これでよし」と考えていたのである。

執筆 :(T.Y)