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体験記 (17-18)

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 18才の春に、森田療法を知り会社では岡さんから、医者からは日記指導を受け乍ら、苦しい毎日を送っていたが、6月になり、田植えが終わり、周囲のたんぼからは、蛙の声が聞こえてくるようになってきた。
 蛙の声に時計の音が消されて聞こえなくなったので、すごく楽になった。一年中蛙が鳴けばいいと思ったものである。
 そのことを日記にかいて送った所、先生から(蛙の声で時計の音が聞こえなくなったのであれば、こんどは蛙の声がうるさいはずだが、蛙はいいが時計はいやというのが、とらわれの奇妙なところ)というコメントが返ってきた。
 このように、時計の音には苦しみ、蛙の声には楽になった心理的背景には、時計の音には聞こえないようになりたいという心の抵抗があった。その為に日々時計の音ばかり考えて自分の注意が時計の音に向いているのであるから、いつも耳について離れない。そして不快を伴って聞こえてくる。蛙の声はこれと反対の現象である。結果として蛙の声は快く響いてくるから声は聞こえていながら心は蛙から離れていくので聞こえないのと同じ状態になっていくのである。
 後年、生活の発見会を知り、森田を理論的に学習するようになって、こういうのを精神交互作用というのだと学んだ。時計の音を異物のように排斥するからますますとらわれてしまったのだということであった。
 神経症の苦しみの最中で、悶々として仕事をしていた時、会社の事務所の机の上の本立てに文庫本が差し込まれているのが目にとまった。
 何の本だろうと何気なく手に取ってみると倉田百三著「絶対的生活」という本であった。開けてみると神経症の壮絶な体験とそれから解放されていく様が赤裸々に綴られていた。作家であり、求道者である彼の症状は我々には想像もできない程、特殊な内容であったが同じ神経症者である故か私は休憩時間にむさぼるようにして読んでいた。
 それにしても誰が何の為にこんな本を会社の事務所へ持ってきて置いているのだろうか?といぶかりながらも休憩毎に読んでいた。
 私以外にはこの本をさわっている様子はなく、いつまでもそこに置かれていた。
 毎日この本を読んでいるので、同僚の岸田という男が倉田氏のことを「この人は体が大きかったので象さんと呼ばれていたんだ」と教えてくれた。
 百三という名前と体が大きいので象さんというあだ名がついたのかも知れないが、岸田さんから「山下、ぞうさんの本なんか読むなよ」と言われていた。もしかすると私の神経症性格を読み取った彼がわざと私の目につく所に置いていたのかなとも考えるのだが真実は不明のままに終わってしまった。
 たしかにこの本は一般の人には頭が痛くなり息苦しくなる内容なので誰も読みたいとは思わないと思う。
 しかし強迫観念のとらわれたいきさつから苦しみの最中で助かりたいといろいろにあがいていき、こうすれば助かるかああすれば救われるかと、はからいをくり返し乍ら、次々に身動きが取れなくなっていき万策つきて、あらゆるはからいの無益を味わいつくし、すべてのはからいを捨てて苦しみをそのまま苦しむことにより、救われていく様が微に入り細にわたって書かれていた。
 まさに仏教でいう迷いの典型的な雛形であったのだが、幼い私は彼の症状が特殊であるのと森田的知識がないためにその卓越した文章にひかれ乍も小説でも読んでいるような感じで全く自分の身につかなかった。
 それには彼が昔の文人ですので文章表現がむずかしかったのも要因ではあるが、彼の症状の内容が一般人のそれとかけ離れていた為でもある。しかし倉田氏もまたあらゆるはからいの末に森田療法に助けを求めて、そこで救われたのであった。

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 倉田氏は我々が想像もできないような独特な神経症を体験しているが、そのとらわれる心のカラクリは同じなのでその治し方は一定しているとのことです。彼の症状は一つとしてなくなってはいない。しかし症状のあるままで自由であるという。彼はこれを「治らずにして治った」と表現していた。
  神経症の症状は誰にでもある現象だというが、倉田氏のそれは作家としてまた観照生活に趣を置く彼の生活から出たものですので、回転恐怖、二物恐怖等々我々には想像もできない内容だが森田先生に言わせると、それに気が付くのと気が付かないとの違いだけであり、何ら不思議なことはないという。
  私が不眠と時計の音にとらわれた様なものである。普通の人にも時計の音は聞こえているのだが注意がそこに向いていないからいつか忘れてしまう。私はこの音を聞くまいとして排除するから、ますます音に注意が向かっていき四六時中、耳について離れなくなるのであった。
  不眠も不眠恐怖であって真の不眠ではないとのことであった。もちろんとらわれている時は不安でびくびくしているから平常時よりは睡眠は浅いがその人に必要な最低の睡眠は必ず取っている。
  不眠不休の強行軍であっても、その人の体に眠りが必要な状態になれば人間は歩き乍でも眠るとのことであった。
  私は当時夜勤をしていたが仕事中に一瞬意識がなくなる時が時々あった。あの時は瞬間的に眠っていたのかも知れない。餓死はあるが、不眠死は絶対にない。従って眠ったような気がしなくても昼間は普通に行動しなさいと教えられた。
  そう言われても苦しいから、早く楽になりたいと、はからいを繰り返す生活の中で、風邪を引いてしまった。診断書を出して一週間会社を休んだ。なかなか会社へ行かないので日記には先生から「職場仕事の方をどうするのか、周囲の人とも相談して決めなさい。今のように逃げて休んでいるのではきりがない克服はむつかしいと知りなさい」と書かれていた。春から日記指導を始めて3ケ月ぐらいの頃だった。夏風邪だと思っていたがそうではなかった。
  腹が痛くなり大川病院へ検査入院したらどこも悪くなかったがそれと同様に、今回も神経症の風邪ひきだったのである。先生からは「風邪だけではない神経症の逃避反応もある」とのコメントが返ってきた。
  人が怖い、嫌って苛められる、悪口を言われるという風に人の思惑ばかり考えて会社へ行くのが苦しく、さりとて仕事をさぼるのは良心がとがめる。病気になれば公然と休めて誰からも批判されない。このような心理が無意識の内にはたらくのであった。
  もちろん仮病を使うのではない。腹痛も風邪も実際に症状が出てくるのである。病は気からというのは、このことをいうのかも知れない。

執筆 :(T.Y)