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体験記 (15-16)

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 毎日毎日会社では同僚たちの言動に一喜一憂する生活であり、その上、今夜も眠れないのだろうかという思いの中で、それでも仕事だけは、人なみにできていたようである。その為に定年まで会社におれたのかも知れない。会社は、神経症なんかどうでもよい。仕事ができるかできないかである。仕事ができなかったらとっくに首になっていたはずである。また岡さんが森田療法のことを非常によく知っており、そのこともたすけになったのではなかろうかと今思うのである。岡さんは折に触れて、私の所へやってきて、いろいろアドバイスしてくれたが、我の強い私はその時は分かったようでも、時が立つと元の感情にもどっていまい、(あの人に、あゝいわれた、こういう風にされた)と言って、だからあの人に嫌われている、苛められると思い、いつまでも悩むのであった。
 会社では、人の顔色をみてビクビクし乍ら仕事をして、家へ帰ると不眠と時計の音に苦しむ生活であった。
 このようにして悶々とした毎日を送っている時に、ふと本屋で赤面恐怖の治し方という本をみつけて買って帰って読んだ。赤面恐怖も神経症(ノイローゼ)の中の対人恐怖の一種であり、自分の顔が赤くなったり、それを人からバカにされ笑いものにされると思い込む症状のひとつである。私とは内容が違っているが、人が自分をどう思うっているかに敏感な所は同じである。
 この本にも森田療法の説明及び、対処のしかたを書いていたが、それでも私は自分の、この苦しみから楽になりたいという心のあがきはなくならず(本に書いている、とらわれのカラクリが理解できなく何とかしてこの苦しみをなくしたい、それしか考えていなかった)本にかいている著者略歴で、東京に高良興生院という病院があるのを知り、あまりにも苦しいので、その病院へ手紙をかいて自分の苦しみを訴えたところ通信指導があるので受けてみなさいと言ってパンフレットを送ってきた。私は毎日が苦しいので、医者のやることだからと何のためらいもなく通信指導を受けることにした。
 やり方は、毎日、日記をかいて一週間分の日記を郵送するのである。その日記を先生が読んでコメントをかいて返送してくるのである。自分がかいた日記の内容に対して、こうしなさい、あゝしなさいと教えてくれるのであった。日記には自分が何をしたか。行動したことを中心にかくようにいわれたが、最初はそんなものはかかずに自分の苦しい症状のみをくどくどとグチばかり並べてかいていた。
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 毎日日記をかいて先生からのコメントを読むのだが、いくら読んでも先生の言われることが実行できなくて目一杯 小心で気の弱い私は、他人の私への言動を嫌われて苛められているという思いにビクビクするのと、眠れない夜と時計の音を聞かないように努力する毎日を送っていた。
 そんな中でも仕事だけは普通にこなしていた。仕事をしている時に岡さんが時々現場へやってきて、話を聞いてくれたり時には会社の応接室へ呼ばれて私の苦しみを聞いてくれて、いろいろアドバイスしてくれた。「お前は感情的なものに弱いから好かれようとするのは嫌みだぞ、せめて嫌われないように ぐらいでいいが、その上で万一嫌われたとなれば、どうしようもないのだ。そのまま嫌われておる以外に術はないのだ。あがいた所でどうしようもないのだ。いい加減にあきらめろ。」 等々の話をしてくれたが、私の考え方は全く進歩しなく、その時は少し楽になるのだが、翌日は全く元の状態になって苦しむ生活であった。
 当時の日記はなくしてしまったが、今でも覚えている先生からのコメントには次のようなものがあった。
(人の心の内部はいくら考えてもはっきり分かりません。分からないまま人からのはたらきかけには答えて行くように)
(人が自分をどう思っているかに過敏だと人と対立的になる)
(人が自分をどう思っているかばかり問題にして肝心の仕事がおろそかでは人の信用は得られません)
(目的がはたせればそれでよしとする。その間の気分はどうあってもよい)
(必要があれば気分はどうあっても話かけて行く。必要がなければ黙っていてもよい)
(よく目的をはたすことに神経症を発揮していく)
(君は小心で神経質です。小心神経症な性格は隠そうとしても隠し通せるものではありません。むしろ神経症をさらけだす生活がいいのです)
(分からないことは分からないこととしておく)
 不眠に対しては
(眠ったような感じがなくても昼間はあたりまえに行動する)
(夜は床の中で横になっているのが休憩になる。眠りはその間与えられただけ受け取るつもりで)
 時計の音については、
(これも注意がそこに固まっているのだから取ろうとすれば追いかけられます。響くまま何でもやっていく)
(これさえなければと廃除する気持ちが ますますこびりつかせる結果となる)
 以上のように森田の理論的なものは何も教えられないが日記にかいた内容に対してどうすればいいのかのコメントがかかれていた。
 先生の日記指導を受け乍ら、会社で岡さんのアドバイスとともに直属の上司に平松さんがいた。この人は森田は知らないがいろいろ手紙をくれたり、組合の青年婦人部に連れていかれ、人中へ入って行くように持っていってくれた。神経症に苦しんだものの、こういう人に巡り合えたことは幸せであったと思っている。
 しかし、私はこの人達の厚意に応えることもできずに、いつまでもグチばかり言って困らせていたのであった。
 会社では人の顔色ばかりみて、家では不眠と時計の音を気にして戦々恐々とした生活を送っていたのである。

執筆 :(T.Y)