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体験記 (8)

 このようにして人の顔色ばかり見て生活していたみたいだったが、四六時中、人の思惑ばかり見て、いつもビクビクしていたのではなく、何か言われたり、されたりした時にビビってしまい、それからは、その人間を意識してしまい、あの人がいるから嫌だなという風になるのであった。小さい時から非常に感受性の強い子供であった。
 いつも人からどう見られているかばかり考えて相手の言動に一喜一憂している生活だった。従って皆と一緒に行動するのよりも、一人で何かするのが好きないわゆる、ねくらな人間となっていったのである。
 国語の時間に誰か忘れたが詩人で弁当に漬け物をそえて一人で山に登って行くのを聞いて、あゝそんなのいいなーと思い同じようなことをしていた。
 番屋の北側に小さい松の木が生えている山があり、一人でその山へ登って行き中腹にある大きな岩の上に弁当を広げて一人で食べたら、眼下に広がる町並み、瀬戸内の海原に浮かぶ船をながめたり、遠く讃岐山脈の山々をながめたりして一人でボケーとしていた。 仲間と一緒にいて人の思惑を考えて気を使う必要がなくリラックスできるので、この山登りは何回も出かけて行き岩の上で弁当を食べて時間をすごしていた。
 中学生の子供がそんなことをするのだから本当に変わった少年であったと思う。
 学校の遠足だったと思う。白鳥のランプロファイヤー岩脈へ行って自由時間に皆それぞれのグループを作って遊んでいるが、私は皆と離れて1人で俳句を作って楽しんでいた。
 本心は皆と一緒に遊んで楽しみたいのだが、やはり人の顔色をみて何か言われたら恐いという考えから、人から逃げてしまうクセが身についていたのだろう。
 従って中学三年になって進路を決めるようになった時は迷わずに就職することに決めた。 学校は級友に苛められるつらい所という考えが頭にしみ込んでおり大人はそんなことはしないだろう。そういう考えから決めたことであった。
 しかしこれも私の思い違いであったみたいである。 子供でも大人でも人間であるからには喜怒哀楽の感情は同じであり、40数年にもわたる神経症の始まりになるとは夢にも思っていなかった。

執筆 :(T.Y)