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体験記 (7)

 反面、外で我慢している反動か或いは私のわがままな性格の故か家庭の中ではかなり暴君的に振る舞っていたのである。他人には従順なくせに嫌われても怖くない家族にはカッとなると怒鳴りつけたり、物を手荒くあつかったりしていたのである。人が見ればそうとうなわがままな人間であった。その為、妹は表面は普通にしていたが心では私に反感を持ち、私から離れたいとそればかり思っていたそうである。
 中学生になると学校での苛めもなくなり楽になれると考えていた私は何人かが同じクラスになるとは考えてもいなく(これが子供の考え方であった)やはり小学校と同じように人の顔色を見る生活であった。中学に入り誉水、三本松の生徒と一緒になったが、やはり一部の人の私に対する言動が私への苛めに思えてその一部の人と接するのが嫌であった。これは、小学校時代の私を苛める人間が同じクラスになり、それを見た他の人たちが同じように私を嫌って苛めるのではなく、どこにでもいる餓鬼大将でしかなかったのかも知れない。外では大人しく何も反発しなく、いいなりになっていたので彼等にとっては私は言い易かっただけなのかも知れない。しかし言い易いことも相まって苛めがエスカレートして行き、教室でズボンまで脱がされ横になったまま泣いていたこともあった。全く何もさからうことのできない弱虫であったのである。
 それでも学校へは普通に通っていた。いやだなと思うことがあっても行かなければならない事しなければならない事決められた事は心の中ではいやであっても守っていた。
 例えば担任の先生がいない時、代わりの先生がきて「自習」にする場合、男子生徒は「ソフトボールがしたい」と言い出す。先生は「じゃーソフトするか」と言うと皆は喜びいさんで外へ出て行くが私はこれが嫌でしかたがなかった。このようにチームでするスポーツはミスをやった場合に「あの時のお前のミスで負けたのだ」とか「お前のミスで点が取れなんだ」とか、いろいろ文句を言われるとつらいので、そういう場面からは逃れたいのだった。森田理論では(皆と仲良く楽しく上手にゲームがしたいという欲望が強い為になるのだ)とあったが、しかし学生時代はいやだなと思いつつも何とか折り合いつけて、生活をしていたようだ。唯、大人しく引っ込み思案ではあったが何とか普通に生活をしていた。それでも怒る時もあったのであろう(私には記憶に残っていないが)先生が「怒る時は青筋を立てて怒る」と母に言ったらしいので(そんなこともあったのかなー)と思うのである。
 自分では周囲の人間が私を嫌っていじめてくると思って人を恐がっていたのだが、恐怖におののいて逃げているばかりではなく、そんな一面もあったみたいです。
 授業なんかもそんなに緊張することもなく受けていたのだが何かいやなことを言われたりされたりした時、反発することができなかった。そして指示されたりした時はそれの良し悪しに関係なくその通りに動いていた。それは反対意見を言って反発されるのが恐かった為である。

執筆 :(T.Y)